05年6月にNYで起業、兼大学院にて国際ビジネス学科を専攻。夢と元気をニューヨークから発信していくと共に、日々のニューヨークライフを語ります。


by aaandy0221

社会の常識に疲れたとき・・・

人は誰でも「己の常識」があり、基礎に「社会の常識」があり、そのまた上に「法律」がある。

国が違えば己の常識は異なり、社会の常識も異なり、法律もいまや国際法が破られる時代となった。ただ、道徳、人権法という絶対に犯してはならない罪に対して、それを破るならば、それは誰が見ても明らかな犯罪となる。自分が正しいと思う道を素直にやればいいよ!ってなことを、子育てを終えた親はよく言うが、それも道徳、人権をしっかり教えて初めて己(子供達)の常識を肯定してあげることができると思う。

社会の常識は・・といえば、近年、「自分が思ったことをやる=夢の実現」が美しいという風潮が強いですね。「社会の常識なんて関係ない!」っと少なからず、僕自身もそんな感を受ける。だが、違う。「社会の常識とうまく付き合うことは、自分の夢の実現に最も助けとなってくれることであることを今は切に感じている。」

己の常識を保ち、輝き続けながらも、社会の常識とうまく付き合っていくことが、世の中なんとかやっていくために必要なんだと今は感じている。己の常識に自信を持ちすぎても、人から見ればあまりに狭く、結果が見えていることがある。だから周りは否定し、こうすべきでないと諭し、その意見に流されたことは勝者か、敗者か?なんて考えた時期もあった。私の親は少なからずはっきり否定する人だ。昔の頑固親父ばりの大否定をする。人は僕の親を理解ある人だ~というが、親父ほどうるさいものはいない。それでも親父の常識ともうまく付き合っていくことで、世の中数倍早く理解することができるようになるのも事実。

仕事も恋愛も己もたくさん否定されながら、僕は今ここにいる。否定されすぎて考えすぎたのか・・たくさん考えちゃったよ。今じゃすごく未来が見えるようになったよ(笑)。でも、今ここに立っている自分が、26歳になる自分がいる。

男は学歴?資格?可能性?確かに、あるとなしじゃ「社会の常識」の中では大違い。ないときには見えなかったものが、実際に見えたとき、やっぱないときの自分は未熟者だったのか?と感じる。悔しい。そんな学歴も資格もなくても生きれるのに、それがなければ将来は限定されてしまうのか。それが社会の常識なのか、「郷に入れば郷に従う」べきなのか?

現実はさもむごい。知らないもの、ないものは可能性すら失うのか?

これは現実世界のネガティブというもの。実際の自分はこれまで不満足に勉強をしてきたわけでもなければ、不満足に恋愛や仕事をしたわけでもない。しっかり楽しんで、それでも新しい世界を知って、次のステップへ来たのだと信じている。「やれるだけの力があるなら、やれることをする」、それしかない・・人生に優劣などつけても結局意味はない。幸せは、その人一人一人の観念であり、夢の大きさも、付き合う人によってこれまた依存していく。友人が国連で働くのでまたNY来るね~といった時、じゃあ僕は世界を知るべく若者を集めるね!って言った。僕ってそんなでかいこと言ったっけ?って思うが、これはポジティブの連鎖反応。現実レベルが高い人が語る夢は怖いくらいにでかい。僕は・・現実レベルは重要と思う。力を持つ、やりたいことができるような力を得た時、正しき方向に進めるように今も考えていきたい。
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by aaandy0221 | 2006-10-17 00:58 | 僕について